二宮尊徳とヒエから学ぶ、備える価値

近くに、二宮尊徳翁を祀る「報徳二宮神社」があり、初詣や毎月のはじめにお参りしています。
二宮尊徳の幼名は、金次郎です。
かつて全国各地の小学校には、薪を背負いながら本を読む「二宮金次郎」の銅像が置かれていました。報徳二宮神社にも、その姿があります。
二宮金次郎は、勤勉の象徴として知られていますが、農村の再建に取り組み、人々の暮らしを支えた実践者でもありました。
そして、その歴史をたどると、ヒエをはじめとする雑穀が、人々の食を守るために果たしてきた役割が見えてきます。
凶作に備えて、ヒエをつくる
二宮尊徳は、現在の神奈川県小田原市に生まれ、小田原藩主・大久保忠真の命を受け、大久保家の分家である宇津家が治める下野国桜町領、現在の栃木県真岡市周辺の復興に取り組みました。
そこでは、荒れた農地を整え、農家の暮らしを立て直すなど、地域全体の再建を担っていました。
江戸時代の三大飢饉のひとつ、天保の大飢饉が始まったころの天保4年(1833年)、初夏に食べたナスが秋ナスのような味だったことから、冷夏による凶作を予測し、農民たちにヒエなどを播くよう促し、飢饉を乗り越えることができたと伝えられています。
重要なのは、その異変を感じたとき、米の収穫だけに期待するのではなく、別の作物をつくり、食料を確保する行動に移したことです。
ヒエは、単に米がとれないときに食べるものではなく、人々の命や暮らしを守るための「備える作物」でもあったのです。
日本各地で雑穀がつくられていた意味
かつて、ヒエ、アワ、キビなどの雑穀は、日本各地で栽培されていました。
日本は南北に長く、地域によって気候も地形も異なります。
寒さの厳しい地域、山間地、傾斜地など、どこでも同じように米をつくることができるわけではありません。
また、稲作のできる地域でも、冷害や干ばつ、長雨などによって、毎年安定して米が収穫できるとは限りませんでした。
だからこそ、人々は米だけに頼らず、それぞれの土地に合ったさまざまな作物を育ててきました。
例えば岩手県などでは、夏に吹く冷たく湿った風「やませ」によって稲作が影響を受けることがあり、ヒエやアワ、キビなどの雑穀、小麦、大豆、ソバなどが栽培されてきました。
かつて日本各地に雑穀があった背景には、気候や土地の条件に合わせ、食料を一つの作物だけに頼らないという人々の知恵がありました。
農業も米づくりも大きく変化
二宮尊徳の時代から約200年、特に戦後の約80年で、日本の農業は大きく変わりました。
品種改良や栽培技術、農業基盤の整備が進み、寒冷な気候のもと、稲作に厳しい条件を抱えてきた北海道でも、現在では全国的に高く評価される、おいしい米が生産されています。
「ななつぼし」や「ゆめぴりか」などは、その代表です。神奈川県のスーパーでも当たり前のように並び、身近な北海道米として親しまれています。
北海道は今や、米だけでなく、小麦、大豆、ばれいしょ、豆類など、多くの農産物を全国へ供給する、日本を代表する食料生産地域です。
こうした生産力は、日本の食にとって大きな強みです。
一方で、ここで考えておきたいことがあります。
それは、食料の生産が特定の地域に集中することのリスクです。
「一つの産地だけに頼らない」という備え
2024年の北海道の耕地面積は約113万8,000ヘクタール、全国の26.6%を占めています。
また、同年の農業産出額は1兆4,817億円で、全国の13.7%を占めています。
北海道が、日本の食料供給をどれほど大きく支えているかが分かる数字です。
しかし仮に、北海道で大規模な気象災害などが発生し、農業生産に大きな影響が生じた場合、その影響は北海道だけではなく、日本各地の食卓や食品産業へ広がる可能性があります。
これは北海道に限った話ではありません。
ある農産物の生産が特定の産地に集中すればするほど、その地域で何かが起こったときの影響も大きくなります。
効率よく生産できる地域で多くつくることには、大きなメリットがあります。
品質を高め、生産性を向上させ、安定的に供給するうえでも、産地の集約が果たしてきた役割は大きいです。
雑穀についても、北海道が主要な産地となっている品目があります。
一方、食料安全保障という視点では、効率とは別の価値も考える必要があります。
それが、「一つの産地で難しくなったとき、別の産地でもつくることができる」
という備える力です。
二宮尊徳の時代には、
「米がとれなければ、ヒエなど別の作物で食をつなぐ」
という作物の多様性が、凶作への備えになりました。
現代では、それに加えて、
「一つの地域でつくれなければ、別の地域でもつくることができる」
という産地の多様性も、大切な備えといえます。
現代の日本の食は、海外からの輸入にも支えられている
現在の私たちの豊かな食生活は、日本国内だけではなく、世界各地から届く食料にも支えられています。
農林水産省が公表した2025年度の日本の食料自給率は、カロリーベースで37%です。
多くの食料を海外からの輸入に頼っている日本では、国内の天候だけを考えていればよいわけではありません。
世界各地で起こる気候変動や自然災害、国際情勢の変化、物流の混乱なども、日本の食に影響する可能性があります。
かつては、地域の冷害や凶作にどう備えるか。
現代では、それに加えて、国内外に広がった食料供給全体のリスクにどう備えるか。
「備える」という意味そのものが、時代とともに広がっています。
作物、産地、供給源を一つに頼らない
もちろん、ヒエやアワ、キビなどの生産を増やしただけで、日本の食料問題が解決するということではありません。
それでも、国内のさまざまな地域で、その土地に合った作物をつくり続けることには意味があります。
かつて日本各地に雑穀があったように、それぞれの地域に、その土地でつくることのできる作物がある。
そうした地域の多様性を残していくことも、日本の食料安全保障を支える一つの力になるのではないでしょうか。
二宮尊徳の時代と現代の日本では、食料を取り巻く環境はまったく異なります。
米づくりの技術は大きく進歩し、流通網も発達しました。
北海道をはじめとした高い生産力と優れた農業技術が、現在の日本の食を力強く支えています。
一方で、気候変動や自然災害、海外への輸入依存、国際情勢など、現代の食料供給には複合的なリスクもあります。
だからこそ、改めて考えたいことがあります。
食を一つの作物、一つの産地、一つの供給源だけに頼らない。
米もあれば、ヒエやアワ、キビ、ソルガムなどの雑穀もある。
そして、それをつくる地域も一つではない。
作物を多様にする。
産地を多様にする。
供給源を多様にする。
そうして選択肢を持っておくことが、変化の大きな時代における食の強さにつながります。
雑穀を見直すとき、おいしさや栄養だけではなく、
「なぜ、この作物が日本各地でつくられてきたのか」
そして、
「これからも、各地でつくることのできる作物を残す意味は何なのか」
というところまで考えてみる。
二宮尊徳とヒエの歴史からは、これからの日本の食の「備え」を考えるヒントが見えてきます。
関連情報:雑穀エキスパート講座/日本雑穀アワード/法人会員制度
執筆:中西 学(一般社団法人日本雑穀協会 事務局長)
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