雑穀の“雑”を、いま改めて考える

「雑」という字に、どのような印象を持つでしょうか。
雑多、雑然、粗雑、雑草、雑用――。
日常の中では、どちらかといえば「まとまりがない」「大切ではない」といった意味合いで使われることも少なくありません。
しかし、私たちが長く携わってきた「雑穀」にも、この「雑」という字があります。
その「雑」について、改めて考えさせてくれる一冊があります。
名取弘文著『「雑」には愛がいっぱい―おもしろ学校公開授業』(農山漁村文化協会刊)です。
この本では、「雑穀」「雑魚」「雑菌」「雑煮」という、4つの「雑」をテーマにした授業が紹介されています。
雑穀について語るのは、雑穀研究の第一人者として知られる阪本寧男氏。
そのほかにも、雑菌、雑魚、雑煮という、一見するとまったく異なる題材が、「雑」という一文字を通してつながっていきます。
この本が出版されたのは1991年。
それから35年が経った今、改めて「雑」という言葉を考えてみると、そこには現代にもつながる大切な視点があるように思います。
「雑」は、価値が低いということなのか
雑穀は、一つの穀物の名前ではありません。
アワ、キビ、ヒエ、タカキビ、ハトムギ、ソバなど、それぞれ異なる特徴を持つ穀物を広く含む言葉として使われてきました。
粒の大きさも違えば、色も違う。
育つ環境も違い、栄養的な特徴も、調理方法も、その土地で育まれてきた食文化も異なります。
ひとまとめに「雑穀」と呼ばれていても、一つひとつを見ていけば、それぞれに個性があります。
そう考えると、「雑」とは価値の低いものを意味するのではなく、むしろ、
さまざまなものが存在していること。
一つではないこと。
そんな「多様性」を表す言葉として見ることもできるのではないでしょうか。
雑穀の価値は、一つではない
近年、雑穀への関心はさまざまな方向に広がっています。
栄養や健康という視点。
米や小麦のような主食穀物とは異なる食品素材としての商品開発。
各地域に残る伝統的な食文化。
地域農業や産地振興。
さらに、気候変動や食料問題、生物多様性といった視点からも、雑穀が取り上げられるようになっています。
しかし、雑穀の価値は、どれか一つだけで説明できるものではありません。
栄養価が高いから価値がある。
珍しい穀物だから価値がある。
地域の特産品だから価値がある。
そう単純に分けられるものではなく、それぞれが重なり合って雑穀の価値を形づくっています。
その意味では、「雑」という文字は、雑穀という存在を意外なほどよく表しているのかもしれません。
雑穀一粒の向こう側にあるもの
長く雑穀に携わっていると、一粒の向こう側に、さまざまなものが見えてきます。
育てる生産者。
受け継がれてきた栽培方法。
地域に残る料理や食習慣。
新しい商品を生み出そうとする企業や料理家。
そして、その価値を学び、次世代へ伝えようとする人たち。
雑穀は、小さな粒だけを見ていては、その全体像を捉えることができません。
一つひとつの違いを知り、その背景まで見ていくことで、初めて見えてくるものがあります。
「雑」だからこそ、豊か
『「雑」には愛がいっぱい』というタイトルには、改めて考えさせられるものがあります。
整然と一つにそろっているものだけが、豊かなわけではありません。
大きさも、色も、性質も、育つ場所も違う。
違うものが集まり、それぞれが役割を持っている。
その多様性こそが、「雑」の持つ豊かさなのかもしれません。
雑穀に長く携わる中で、「雑」という響きが雑穀のイメージを高めにくいとして、「雑穀」という呼び方そのものを変えた方がよいのではないか、という意見を耳にすることもあります。
しかし私は、この「雑」という字にこそ、多様な穀物を包含する雑穀の豊かさが表れているように感じています。
35年前に出版された一冊を読み返すことで、雑穀の「雑」が、少し違って見えてきます。
「雑」だから価値が低いのではなく、「雑」だからこそ、多様で豊かである。
雑穀情報ライブラリーでも、雑穀をひとまとめの「情報」として扱うだけではなく、一つひとつの穀物、その土地、人、商品、文化、研究に目を向けながら、その多様な価値をこれからも伝えていきたいと思います。
参考書籍:名取弘文『「雑」には愛がいっぱい―おもしろ学校公開授業』
農山漁村文化協会、1991年
関連情報:雑穀エキスパート講座/日本雑穀アワード/法人会員制度
執筆:中西 学(一般社団法人日本雑穀協会 事務局長)
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