縄文時代早期に見える、雑穀との出会い

歴史ある東京大学総合研究博物館に行ってきました。
そこで、考古学の展示を見ながら、改めて考えたことがあります。
私たちは「1万年前」と聞くと、気が遠くなるほど昔のことのように感じます。
しかし、人類の歴史という大きな時間軸から眺めると、少し違って見えてきます。
私たちと同じホモ・サピエンスが登場したのは、現在の研究では約30万年前とされています。そう考えると、1万年前というのは、その歴史の最後の3%ほどです。
人類史から見れば、1万年前は、意外なほど「つい最近」なのです。
では、その頃の日本列島では、人々はどのような植物を食べていたのでしょうか。
近年の研究を踏まえ、縄文時代の植物利用から考えてみたいと思います。
約1万年前、ヒエ属を利用していた人々
注目したいのが、群馬県長野原町の居家以(いやい)岩陰遺跡です。
この遺跡では、縄文時代早期から前期にかけて、人々が繰り返し活動していたことが明らかになっています。古い活動の痕跡は、約1万年前までさかのぼります。
2026年、岡山理科大学の那須浩郎氏は、この遺跡から出土した炭化した種子や果実をもとに、縄文時代早期の植物利用について研究成果を発表しました。
そこでは、クリやドングリ、クルミなどとともに、ヒエ属、アズキ亜属、ダイズ属の炭化種子が確認されています。
これらは、現在の栽培ヒエやアズキ、ダイズそのものではなく、後の作物へとつながる「作物祖先野生種」と位置づけられています。
ここから「約1万年前にヒエが栽培されていた」と単純に考えることはできません。
ただ、数多くの野生植物のなかから、後に作物となっていく植物に人々がすでに目を向け、食料として利用していたことは、とても興味深いことです。
「採る」から「選ぶ」へ
野生植物を採って食べることと、作物を栽培すること。
その間には、長い時間があったと考えられます。
人々は植物を繰り返し利用するなかで、どの植物が食べられるのか、いつ採ればよいのか、どこに多く生えているのかなど、さまざまな知識を蓄えていったのでしょう。
那須氏は、将来作物となっていく野生植物にも目を向け、試しながら利用していたこのような段階を、「オーディショニング」という考え方で捉えています。
言い換えれば、数ある野生植物のなかから、人にとって利用しやすいものを少しずつ見いだしていく段階です。
すぐに栽培が始まったのではなく、まず身近な植物を知り、利用し、選ぶ。
人と植物との関係は、そうした積み重ねのなかで少しずつ変化していったと考えられます。
ヒエ属に見える、その後の変化
さらに時代を進めると、興味深い変化が見えてきます。
那須氏による縄文時代の植物の栽培化に関する研究では、約6000年前の東北地方北部、約4500年前の北海道渡島半島で、大型のヒエ属種子が一時的に確認されています。
そこでは、人による選択が関係した「形態上のドメスティケーション」が起きていた可能性が指摘されています。
ドメスティケーションとは、人が植物を利用し、選択していくなかで、その植物が栽培作物へと変化していく過程のことです。
「形態上のドメスティケーション」とは、そうした変化が種子の大型化など、植物の形に現れていることを意味します。
ただし、この大型化したヒエ属が、そのまま現在の栽培ヒエへと続いたわけではありません。その後、大型の種子は長く確認されなくなります。
つまり、
「野生植物を利用する → 選択が進む → 栽培作物になる」
という単純な一本道ではなかったようです。
利用され、選ばれ、ときにはその関係が途切れる。
人と植物は、そうした試行錯誤を繰り返しながら関係を築いてきたと考えられます。
縄文時代の終わりに現れるアワとキビ
縄文時代は、とても長い時代です。
約1万年前の縄文時代早期と、縄文時代が終わりに近づいた頃との間には、何千年もの時間があります。
縄文時代晩期末になると、中部高地などで、アワやキビの存在が確認されるようになります。
土器に残された種子の圧痕などから、縄文時代の終わり頃には、すでにアワやキビが利用されていたことが分かってきました。
また、東京大学総合研究博物館の米田穣氏らは、長野県小諸市の七五三掛(しめかけ)遺跡の資料について安定同位体分析を行い、約2750~2500年前の人々がアワやキビを食べていたことを示しています。
もちろん、雑穀だけを中心に食べていたわけではありません。
それまでの狩猟や採集による食生活を続けながら、その中に新しく伝わってきたアワやキビを取り入れていたと考えられています。
つまり、ある日突然、「狩猟採集の時代が終わり、農耕の時代になった」ということではありません。
それまでの食文化を残しながら、新しい食べ物を加えていったのです。
雑穀の歴史を、もっと長い時間で見る
約1万年前には、後に作物へとつながるヒエ属を利用していた人々がいました。
その後、一部の地域ではヒエ属の大型化も見られましたが、その動きがそのまま現在の栽培ヒエへと続いたわけではありません。
そして縄文時代の終わり頃には、新たにアワやキビを食生活に取り入れる人々が現れます。
これらは、同じ場所で連続して起きた出来事ではありません。
けれども、長い時間を通して眺めると、一つのことが見えてきます。
人は、農耕が始まるずっと前から、植物を見つめ、選び、利用してきました。
雑穀の歴史を考えるとき、「いつから栽培されたのか」だけでなく、
「人はいつから、雑穀につながる植物に目を向けてきたのか」という問いも大切だと感じます。
人類史から見れば、1万年前はつい最近。
しかし、その「つい最近」のなかだけでも、人と植物との関係は大きく変化してきました。
東京大学総合研究博物館を訪れ、関連する研究論文を読みながら、長い時間と今の私たちの食卓とのつながりについて、改めて考えました。
雑穀の小さな一粒から、人と植物がともに歩んできた長い歴史が見えてきます。
そしてこれからも、考古学や分析技術の発展によって新たな発見が重なり、人と雑穀との関係について、さらに多くのことが見えてくることでしょう。
関連情報:雑穀エキスパート講座/日本雑穀アワード/法人会員制度
執筆:中西 学(一般社団法人日本雑穀協会 事務局長)
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